Kodai_Note

耳を澄ますように古代を感じる試み。

「十一面観音」にまみえる聖林寺で出会ったもう一つの美

 

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昨日、岡寺へ取材に行った際、足をのばして聖林寺を訪れた。伽藍を誇示することなく、山間の坂道、近隣の民家と木々に埋もれるように建っている。

曇り空、降りそうな湿気を感じながら、山門に繋がる階段を上った。

聖林寺白洲正子著「十一面観音巡礼」で知りながら、なかなか足を運べないでいたが、法華寺の「十一面観音菩薩」に感銘を受けてから、聖林寺のそれも確かめたいと常々思っていた。

 

拝観料を払い、本堂に上がると「子安延命地蔵菩薩」にまみえる。丈六(立像で一丈六尺)、八尺(約2.4m)の大きな石像。お顔が大きく、包み込むようなたおやかなお地蔵さま。

お堂の奥をみやると、襖が開け放たれ、飛鳥の地と周辺の山々の風景が広がる。

目当ての「十一面観音菩薩」は本堂の奥から急な階段を登った収蔵庫におられた。

法華寺の「十一面観音菩薩」は蠱惑な佇まいを見せていたが、こちらの観音様は衣裳を軽やかに纏い、すっきりと立ちすくむ神聖な気配が印象的だった。仏像というカテゴリーとは異なる、美的なエネルギーが伝わり、嬉しくなった。

収蔵庫を出ると空模様はいよいよ怪しい。本堂の縁側を歩くと先の飛鳥の地と周辺の山々の風景をのぞむ場所があり、そこに小さな座布団が並んでいる。何気なく座って景色を眺めていると、いよいよ降り始めた。

幾重か山のレイヤーが連なり、その一つは後で調べると三輪山だった。風が吹き、木々がゆれ、雨に打たれながら葉が擦れ合う音が風景とともに差し迫ってくる。山々の方々に雷の閃光が走り、轟音が後からやってくる。

「十一面観音菩薩」と「子安延命地蔵菩薩」の傍らにいる安心感から、雷と雨は祝祭感を感じさせる。胡座をかいて、座布団に根を生やし、風景に心を奪われた。

 

水と縁の深い十一面観音の感銘の後、感じる雨と風、そして雷。それは実体のない瞬間的な美しさ神秘的な体験だった。自分が求めるのは、この体験を味わうこと、そして、書きたいことはこうした「瞬間の美」だと思った。