Kodai_Note

耳を澄ますように古代を感じる試み。

かっては「岸辺の道」だった?「山辺の道」

山辺の道」とは春日山の麓から奈良盆地の東に連なる小高い山やまの裾にそって南下し三輪山の麓まで続く大和の古代道路のひとつ。

全長35キロメートルの道の周囲には古寺社や古墳など、名所・名跡が点在し、四季折々の趣があって美しく、「美しい日本の歩きたくなる道500選」にも選ばれている。

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写真はイメージです

ルートはふたつあり、天理から奈良までのルートはほとんど消滅しているが、大神神社から石上神社までの15キロのルートは、三輪山を仰ぎみながら、西方に広がる奈良盆地大和三山二上山。遙かに葛城山金剛山をまみえるハイキングコースとしても知られる。
「山の辺の道」という言葉に相応しく、道は縫うようにという盆地の東縁、春日断層崖下を、山々の裾を縫うように南北に通ずる。神さびた小道もあれば、アスファルト道をあるくこともあるが、気になるのが起伏に富み、曲がりくねった道がある。大和王権時代の主要幹線道路であったというが、幹線道路であるにも係わらず最短距離を結んでいるという印象はない。

じつは、山辺の道は集落と集落を結ぶ、自然発生的にできあがった日本最古の道なのだ。しかも、大和盆地は沼や湿地が点在していた。人びとはこれらを避けるために山裾をくねり、丘を登り、曲がりくねったルートを歩かなければならなかった。一説では、大和湖という巨大な湖の存在がささやかれている。河内湖が存在したように、奈良盆地の一部、あるいは多くが水の底だったというのだ。その際、東の際にあったことから、湖岸線として発達したというわけだ。いずれにせよ、水際から避けるかたちで発達したと考えて間違いないだろう。